バンド・デシネ(B・D)の歴史的流れ 1830〜1920年代 バンド・デシネ黎明期-コママンガの誕生から

バンド・デシネはいつ誕生し、どのような変遷を経て発展してきたのだろうか。このシリーズではバンド・デシネの歴史について5つの時代区分に分け概観していく。本記事では、1つ目の時代区分であるバンド・デシネ黎明期について取り上げ、それがどのようにバンド・デシネの基礎を築いたのかを解説していく。

はじめに

近年フランスおよびベルギーを中心とするヨーロッパ漫画の翻訳に、出版社が参入し始めている。今後フランス語圏の漫画文化(ここでは漫画文化の基盤形成において重要な役割を担うフランスおよびベルギー、スイスを中心とした地域領域をまとめてこのように表現したい)を対象とする漫画理論・比較漫画研究の発展が期待される。フランス語圏の漫画において、まず歴史的な流れ、様式上の相互関係、代表的な作家の特徴を知ることが、文化の一形態を理解するために役立つ。以上を記述することで、漫画研究の一助となるものと考える。

1830年代 バンド・デシネ黎明期-コママンガの誕生から

フランス語圏漫画文化が「フランス=ベルギー系」と呼ばれるのは、ベルギーがフランス語漫画に多大な影響を与えているからである。しかし、近代漫画の起源はフランスでも、ベルギーでもなくスイスのジュネーヴから始まった。

バンド・デシネがいつ頃誕生したのかについては諸説あるが、19世紀前半から中頃に活躍したスイスの作家ロドルフ・テプフェール(Rodolphe Töpffer)の「版画物語」として1927年に創作した『ヴィユ・ボワ氏』(Mr Vieux Bois)1)から始まるとされる。

ちなみに、彼の作品は当時からバンド・デシネとして呼ばれていたわけではない。言葉として定着したのは1950年代頃からという説もあり、それほど古い歴史をもつ言葉とは言い難い。

1799年生まれで、画家を父に持つテプフェールは自身も画家を目指した。ところが、眼病を患い、絵画の道を諦めざるを得なくなった。その後、小説や旅行記を書く傍ら、絵と物語を合わせて作り出したのが、この「版画物語」である。これを友人がゲーテに送ったところ、熱烈な賛辞を受け、テプフェールは同作の出版を決意し、1837年に刊行した。2)

なお、彼の作品は、描線によって絵と絵を区切り、並列に並べたコママンガ形式で、文章はイラストの下部に配された。これは4コママンガのようなレイアウトをイメージするとわかりやすい。コマが変わるごとに時間が経過し、場所も移り変わっていく。内容としては、記号化されたキャラクターが用いて描かれた長編物語であった。これは当時誕生した版画の一種である「転写石版」(autographie)で複製され、単行本として出版されたことで大いに人気を博した。3)

ところで、彼の版画物語の革新性はどこに見出されるのだろうか。それについて、今日までフランス=ベルギー系漫画研究界を支えるティエリー・グロンスティン(Thierry Groensteen)の記述が詳しい。4)彼によると、そこには3つの特徴があったと説明される。

まず1つ目の特徴として転写石版を印刷媒体として採用したことが挙げられる。転写石版では、インクとペンで転写紙に書いた文字や絵をそのまま印刷することができる。以前から存在する諷刺画や民衆版画では、元となる絵を画家あるいは版画職人が左右反転させ木版などに彫り込んだ。そのため添える文章は別途活版で組み、刷りあげる形となる。5)これに対し、転写石版では左右を反転させることがないため、手書きで直接文字を入れることができる。絵と文字が一体となり、画面構成に自由度が生まれる。これは、諷刺画や民衆漫画にはない特徴で、近代漫画を構成する基礎的要素である。

2つ目は、コマ割りである。民衆漫画が同型の図を並列に並べただけの構成に対して、テプフェールは内容に応じてコマの幅を自由に変化させ、複数のコマを配列させている。こうした工夫から1ページのレイアウトの統一感に対する彼自身のこだわりが感じられる。このように美的感覚を緻密に表現したスタイルはこれまでに存在しなかった。

3つ目は、作中の登場人物のキャラクター性を表現した点である。彼は鼻、顎、目など様々な顔立ちを表現し、作中人物の表情に違いを出した。また同時に、同じキャラクターを繰り返し登場させる際、顔立ちを保ちつつ、表情の違いを伝える方法についても試行錯誤した。登場人物の同一性に留意した点でこれまでの民衆漫画とは一線を画す。

以上からわかるように、彼のした仕事は今日の近代漫画考えるうえで、根幹となる要素を確立し、中世と近代のコミックの分岐点を作ったといえるのではないだろうか。そして漫画とは何を持って定義できるのか、とうことを現代の我々に対して問題提起しているようにも捉えることができる。

1920年代まで テプフェールの影響を受けた作家たちの登場

その後、彼の影響を受けたクリストフ(Georges Colomb, dit Christophe)などの作家が登場し、風刺新聞などに初期バンド・デシネ作品を掲載した。またクリストフは1889年から1905年にかけて、子ども向け雑誌『ル・ プチ・フランセ・イリュストレ』(Le Petit Français illustré)において『フヌイヤール一家』(La Famille Fenouillard)などの絵物語を連載した。この作品では、ある光景の下半分のみを描いてから、次のコマで「知性のかぎりがあり奏上力の足りない読者のために」と断って同じ光景の上半分を描いたり、あるいはひどい目に遭って愕然とするフヌイヤール一家の姿をあえて後ろ姿で描いて表情を読者から隠したり、高いところにいる人物を眺める通行人たちの様子を真上のアングルから描いたり6)、画面構成や物語的効果に対する美的意識が極めて高く、精巧な工夫が凝らされている。

19世紀半頃からは子ども向けの雑誌が発展し、バンド・デシネは主に子ども向けの読みものへ変化していく。その過程で雑誌中の挿絵の数も徐々に増えていった。クリストフ以降、1905年に創刊された少女向け雑誌『ラ・スメーヌ・ドゥ・シュゼット』掲載のブルターニュ出身の田舎娘が主人公の『ベカシーヌ』(Joseph Pinchon, Bécassine, 1905)や1908年創刊の雑誌『エパタン』掲載の間抜けな悪者3人組が主人公の『レ・ピエ・ニクレ』(Louis Forton, Les Pieds nickelés, 1908)が子どもたちの心を掴み夢中にさせた。

以上のようにテプフェールの作風は多くの作家に影響を与え、それ以降バンド・デシネは子ども向け雑誌や新聞に掲載されるようになった。世の中に広く知られ、浸透していくにつれバンド・デシネの存在感は徐々に増していくことなった。彼らの業績は20世紀におけるバンド・デシネ発展の礎を築いたといえる。

おわりに

ここではコママンガが誕生したバンド・デシネ黎明期について主にロドルフ・テプフェールを中心に取り上げ、彼の作風が以前から存在する諷刺画や民衆漫画とどのように異なるのかについて記述した。また彼の仕事が以降様々な作家に影響を与え、彼らの作品が出版に結びつくことで、バンド・デシネの基礎となるスタイルが醸成されていく様子を素描した。当時のバンド・デシネは文化の一要素として捉えられるには未成熟で、そのスタイルも確立されたものではなかったが、雑誌や新聞が発表の場として機能し、それが20世紀に引き継がれていった。

引用文献
[1] 笠間直穂子, フランス=ベルギー系漫画小史 黎明期から今日まで (創刊一二〇周年記念特集 外国語・外国文化の現在), 國學院雑誌 115 (11), p153
[2] 同上
[3] 美術手帖編集部「バンド・デシネのすべて」、『美術手帖』、美術出版社、2016年8月、44頁。
[4] 貴田奈津子「9番目のアート バンド・デシネ案内」、『ふらんす』、白水社、1998年6月〜1999年3月
[5] 笠間直穂子, フランス=ベルギー系漫画小史 黎明期から今日まで (創刊一二〇周年記念特集 外国語・外国文化の現在), 國學院雑誌 115 (11), p155
[6] 笠間直穂子, フランス=ベルギー系漫画小史 黎明期から今日まで (創刊一二〇周年記念特集 外国語・外国文化の現在), 國學院雑誌 115 (11), p158

参考文献
[1] 三浦信孝, 西山教行編「現代フランス社会を知るための62章」、明石書店、2010年、94-96頁。

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